1967 「浅田自動車」創立

二輪四輪レーシングチーム運営。二輪ロードレース部門(50cc〜500cc)四輪部門(FAIRLADY 240Z、MANA09他)。

同時にレーシングカート参戦。 フレームメーカーとなる。
1968 前年と同じチーム体制で参戦を続け、10月カート部門において全日本フレームメーカーチャンピオンとなる。
1969 四輪メンテナンスに加えて、MCFAJ全日本ロードレース選手権500ccクラスに代表自らレーサーとして参戦。 この年のノービスクラスチャンピオンとなる。
1970 全日本ロードレース選手権第4戦目、シーズン途中にて既に年間シリーズチャンピオンが確定。 第5戦から連盟の要請によりプロフェッショナルクラスに移籍。

9月、四輪部門として富士1000kmロングディスタンスレースにNISSAN 240Zでスポット参戦。 Rクラス優勝、総合2位
1971 二輪チームが50cc、250cc、500ccクラスでクラブチャンピオンとなる。

四輪部門は、ロングディスタンスレースの最高峰Rクラスに全戦エントリーする。

代表が、タイヤメーカーよりワークスドライバーの要請を受けたが辞退する。 また、二輪の某ワークスチームからの要請も辞退する。

以降、四輪レーシングカーの製作及びメンテナンスに専念。
1976 この年のF1グランプリ(富士サーキット・当時)に、代表がホットスタッフレーシングのチーフメカニックとして参戦する。
1978 富士GCシリーズマイナーツーリングに、NISSAN/B110サニーにて参戦を開始する。
1979- 引き続きマイナーツーリングチャンピオンレースに参戦する。

同時に富士フレッシュマンシリーズの顧客車両製作、メンテナンスを行う。
-1985 引き続きマイナーツーリングチャンピオンレースに参戦する。

同時に富士フレッシュマンシリーズの顧客車両を製作、メンテナンスする。
1987 Gr.A全日本ツーリングカー選手権/DIVISION 3 (HONDA CIVIC, COSMO OIL)をメンテナンスする。
1988 Gr.A全日本ツーリングカー選手権/DIVISION 2 (BMW M3, COSMO OIL)をフルメンテナンスする。
1989 Gr.A全日本ツーリングカー選手権/DIVISION 1 (FORD SIERRA RS500, COSMO OIL SIERRA)のエンジン開発、レースメンテナンスを行い、全6戦に参戦する。

全日本F3選手権/レーシングチームエルゴテクニック RT32のエンジン開発、レースメンテナンスをサポートする。

富士GCシリーズマイナーツーリングに、当社所有N2/TS1300 SUNNYを2台体制でエントリーする。 内1台のCAR NO.8 真田睦明選手が、1分44秒752の富士永久コースレコードを樹立する。 その他、顧客車両8台の製作、レースメンテナンスを行う。

筑波9時間耐久レース、スプリントレースにN1/P1300クラス(SUZUKI CULTAS )6台で参戦する。
1990 3月末、有限会社アサダレーシングとして法人化する。

Gr.A全日本ツーリングカー選手権/DIVISION 1 (FORD SIERRA RS500, CITY LIFE 43 SIERRA, 椛蜑商事)のエンジン開発、レースメンテナンス及び一部サーキットマネジメントをサポートして全6戦に参戦する。 決勝最高位クラス4位、予選最高位クラス3位。

筑波スプリントレースシリーズ全戦及び耐久シリーズに、スズキ カルタス(N1/P1300クラス)の製作、レースメンテナンスを行い参戦する。
製作した車両5台のうち、常に3台が参戦し、1台がこの年のシリーズチャンピオンを獲得する。
また、同仕様のカルタスを顧客向けに2台製作し、サーキットメンテナンスを行う。

自動車競技用品メーカーである潟Gバの依頼により、競技用車両「エバ6A」搭載用エンジンを開発する。

マツダ/ユーノスロードスター特別仕様に搭載するエンジン、MAZDA B6 SPORTS VERSIONを開発する。

スズキAA34S(カルタス)の国外仕様エンジンの開発、サポートをする。

ホンダ/シビック V-TEC N1仕様エンジンの開発、サポートをする。

11月より、N1耐久シリーズP3000クラス/デルミドASADAパルサーをフルメンテナンス、フルマネジメントする。
1991 全日本F3選手権/TAKASU CLINIC RT34&RT35 2台を全14戦レースメンテナンス(車両、エンジン製作を含む)する。

栃木富士産業株式会社製4WD用スーパーチャージャーエンジンを開発する。

同社製スクワールフィン型スーパーチャージャーの開発、東京モーターショー展示用カットモデルエンジンの製作、メーカー向けデモンストレーション用ディーゼル車3台を製作する。
1992 全日本F3選手権に、J-TRIAL ラルト無限/ドライバー本山哲選手で参戦する。 決勝最高位2位、予選最高位1位。

11月、フォーミュラトヨタシリーズにスポット参戦する。
1993 全日本F3選手権にイタリアのシャシーメーカー/ダラーラのワークスチームとして参戦する。 ドライバーは本山哲選手。
1994 全日本F3選手権にドライバー井出有治選手で参戦する。

フォーミュラトヨタシリーズに加え、N1耐久ラウンドシリーズに、スズキ/カルタスで参戦する。 決勝最高位クラス2位。
1995 前年に引き続き、全日本F3選手権フォーミュラトヨタシリーズに参戦する
1997 全日本GT選手権/チームFCJフェラーリの開発、メンテナンスをする。
1998 全日本GT選手権/イエローマジックF355GTの開発、メンテナンスをする。

フォーミュラトヨタに当社社員浅田朋宏がドライバーとしてスポット参戦する。
1999 引き続き全日本GT選手権に参戦する。

1月26日〜2月9日、インドF3グランプリサーキットメンテナンスのため、社員2名が渡航する。

10月、スーパー耐久選手権に参戦するニッサン/パルサーVZ-Rを製作する(シャシー製作、エンジン開発を含む)。

1976年式ポルシェ930ターボをベースにボディ製作、ツインチャージドエンジン(スーパーチャージャー&ターボ)の製作(MoTeCにより制御)を行う。
2000 スーパー耐久選手権N+クラス参戦車両として、アルファロメオ156ツインスパークを製作し(シャシー製作、エンジン開発を含む)、年間4戦レースメンテナンスする。シーズン後半、2号車も同様に製作し、参戦させる。

韓国の自動車メーカー、ヒュンダイのワークスチーム/Indigo Racing Teamの依頼により、KMRC(韓国最高峰のGT選手権)に参戦するティビュロン(ヒュンダイ社の2ドアスポーツクーペ)の製作をする。
レース用2リッターNAエンジンを開発し、250PS仕様で年間3機のエンジンをメンテナンスする。
2001 前年に引き続き、スーパー耐久選手権N+クラスに参戦する。

7月10日〜17日、フィリピンF3選手権のサーキットメンテナンスのため、社員2名が渡航する。

8月、第30回インターナショナルポッカ1000kmに参戦するYellow Magic F355をメンテナンスする。

社屋拡大のため、工場を三浦市初声町下宮田に移転する。
2002 サンデーレーサー、アマチュアレーサー向けのチューニングカーに力を入れていく。

BMW専門ショップ様との業務提携を開始し、数々のBMWエンジンのチューニングを行う。
2008 スーパーGT/GT300クラスに新規参戦するチームより、車両製作・メンテナンスを受託する。
8月の第6戦鈴鹿デビューに向けて、新造車両・エンジンを2ヶ月強で製作。
第6戦、第7戦とリタイヤに終わるも、11月の第9戦富士スピードウェイで初完走(クラス18位)を果たした。